ドミニオンの記事でたまに見かける議論について思うこと

ドミニオン アドベントカレンダーを見かけて、久しぶり(実に数年ぶり)に何か書いてみるかと思い立ちました。

企画を立ち上げた うりはりさん、ありがとうございます。

adventar.org

そう思いつつ、各種ログイン登録など面倒に思ってなかなか動き出せず、やっと重い腰を上げて登録など済ませてみたら、既に12月24日しか空きがなく。3週目くらいの平日に目立たず紛れ込みたかった、やめようかなとも思いましたが、間違えて登録してしまったので、まぁ、これも縁だし書いてみるかなと。

前置きが長くなりましたが、たいしたことを書く気はありません。

たまにドミニオンに関するブログやtwitterなどで見かける議論や意見で、「それは、どうなのだろう?」と私が感じることについて、徒然なるままに書いてみようかと。

 

先手番と同じプレイングについての議論、勝率について

ドミニオンに限りませんが、ゲームで勝利を目指すということは、基本的には自分にとって最も勝率の高いプレイをすることだと思います。

求められる勝利の定義・内容が複雑化すると例外が出てきますが(例えば自分が1位になることより、特定の対戦相手が1位になることの阻止が優先とか)、今回はシンプルに自分が1位になることを勝利の定義として考えてみたいと思います。

 

たまに見かける議論で、私が?と思うものに他のプレイヤーより勝率の低いプレイングを(それだけをもって)非とする議論でしょうか。

わかりやすい例が章題にしている手番差の大きいサプライで後手番が先手番と同じプレイング(例えば、鍛冶屋ステロとか)をすることの是非とかでしょうか。

twitterなどでたまに先手番と同じプレイングをした場合、後手番は先手番より勝率が低くなるので、同じプレイングをすべきではない的な意見を見かけることがあります。

この意見に対して私が感じることは「問題点にすべきは自分の勝率を如何に高めるかであって、他プレイヤーとの比較はそれほど重要ではないのでは?」ということでしょうか。

 

先手番より勝率が低いから・・・」という意見が出る根底には「常にどこかに正解(ここでは他プレイヤーより自分の勝率が高くなるプレイイング)があるはず」という潜在意識があるのかなという気がします。

確かにベストのプレイをしても他のプレイヤーより勝率が低いのであればがっかりする話ですが、ただ現実は厳しいものです。

ドミニオンの場合、ゲームが始まって(ランダムに決まった)手番順に着席した時点で、何らかの有利不利が生じており、不利なプレイヤー(一般的には後手番のプレイヤー)が有利なプレイヤーと同じくらいの運で同じようなプレイング(プレイ方針)をとれば、有利なプレイヤーが順当に勝つ確率は高くなるでしょう。

でも、そのプレイングが自分の勝率を最も高くするプレイングなら、(有利なプレイヤーに対して)不利であっても、それを選ぶのは仕方ないことでは。

先手番と同じプレイングをするのは先手番より勝率が低くなるから避けるべきという意見に対しては、「先手番と同じプレイングをするよりも、(後手番の)自分の勝率が高くなるプレイング、できれば先手番よりも勝率が高くなるプレイングがあるの?」という反論になるのかなと。

 

もちろん実際にそういうプレイング(例えば、先手番のステロに対して後手番のコンボで十分優位に立てるとか)があるなら、それを採用すべきでしょう。

ここで言いたいのは、「常にそういうプレイングがあるとは限らない」ということと、実際に先手番有利を覆すプレイングがない場合、先手番より不利でも同じプレイングを取らざるをえないということです。

まぁ、人為的なサプライ(大会で使用するサプライ)などは、こういった手番格差や初手格差(5-2と4-3とか)がなるべくなくなるようにサプライを組まれているでしょうが、特にランダムサプライの場合は、露骨に格差があることも多いので、そういう場合は諦めて「自分の方が運がいいこと」を期待するしかないかなと。

 

・・・といった記事を書こうと思ってたら、既に似た内容で、もっと深い内容の記事が同じアドベント・リスト内にありますね。はい、終了。

harbor0255.hatenadiary.jp

状況(手番差、初手などの引きの差、実力差)が不利な場合、上振れ(自分の運がいいこと)を期待してプレイするというのは、私も同意見です。穏当にいけば妥当に敗けるが、運が悪ければ圧敗するけど運が良ければ勝てるかもに変わるのは勝率的には良くなってるでしょうから。

 

あと、先手番と同じプレイング議論の場合、他プレイヤーと同じプレイングをしても面白くないという話がごっちゃになっている場合もあるかなと。

練習の場合は、検討・参考例としてあえて先手番と違うプレイングをして結果を見てみるというのは、自分の知識の引き出しを増やすという点で有益な場合は多いかと思います(ちゃんとした知識にするためには、シミュレーターで検討するのが一番いいのかもしれませんが)。

ただ、結果を求められる大会等であれば、私は(他プレイヤーとの比較は関係なく)自分の勝率が最も高いプレイングを選ぶかなと思います。

実際はその場で最も勝率の高いプレイングなんてわからないので、自分が「最も勝率が高い」と思うプレイングを選ぶし、他のプレイヤーのプレイングも絡んでくるので、こんなクリアな議論はできないでしょうが。

 

カードの強弱についての議論

ということで、書こうと思ってた内容が中途半端となったので、追加でもう一題なんとか書いてみました。

 

たまに「このカード弱すぎる」という意見を見かけます。

これが、MtGのシールド戦等であれば、弱いカードを引くことは(その分、強いカードを引く機会を失っているので)マイナスといえます。

ドミニオンの場合は、弱いカードは「買わなければいい、使わなければいい」となるだけだと思います(詐欺師で変換されたみたいな例外は置いておいて)。

強いカードの場合、(特に4人戦で)手番差で獲得枚数が少なくなって不利ということはありますが、弱いカードは繰り返しになりますが「買わなければいい、使わなければいい」となるため、弱いカードがサプライにあることがマイナスになることは少ないように思います(弱くて使えないカードがサプライに多く、使えるカードの数が少ないと、取りえるプレイングの幅が狭くなりすぎて技量の差を示しにくくなり、単なる運ゲーになる可能性はありますが)。

 

ドミニオンでは「役に立つ(強い)」評価は役にたちますが、「役に立たない(弱い)」評価はそれほど大事でないかなと。

購入カードの選択についても、弱いカードを除外した残りで考えるより、使える(強い)カードの中からどれを選ぶか悩むのかなと。さらに選んだカードとの相性を考えると、次の選択肢はさらに狭まるでしょう。

実際、ランダム・サプライで遊ぶと、かなりの確率で「サプライに存在するけれど、ゲーム終了まで一度も触られないカード」が数種類存在しているかと思います。

 

では、そういった弱いカードはまったく必要でないかというと、そうではないと思います。

稀にではありますが、そういった弱いとされるカードを使った方がよいサプライが(低確率ですが)確かに存在しています。

例えば、最弱選手権をすればまず間違いなく候補の一角にあがる変成でも、他に使える低コストのポーション・カードがあって、呪い撒きがいて、長期戦になりそうなのに変成以外に呪い廃棄手段がないとか、荒れすぎて変成の公領獲得でも強そうみたいな長い呪文に合致するサプライであれば十分に使える場合があります。

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そういったサプライに出くわしたときに、見落とさずにそういった弱いカードを使えるかどうかも、ドミニオンの実力差の一要素かなと思います。

なので「このカード弱い」という批判はあまり意味がなく、「弱いけど、こういうときは使え」といった議論の方が有益なのかなと思います。

 

また、カード評価として「○○と比べて××は弱い(使えない)」という評価もたまに聞きます。

必要なのは、あくまで「現状のサプライで使える、役に立つカードなのか」であって、例えば囲郭村が弱いと思っても、労働者の村や吟遊詩人がないサプライでコンボを組みたければ囲郭村を使わざるをえない場合もあるでしょうし、引き切って16金出せるようになってもサプライに+購入が木こりや手先しかなければ、大市場が欲しいといっても無い物ねだりで、木こりや手先を使わざるをえないでしょう。

○○と比べて××は弱い(使えない)」といった評価は、同じサプライに両者が揃った場合にだけ考えればいいかなと。

あと両者が同じサプライにある場合、そういったイメージだけでなく、実際のサプライや場の状況(他のプレイヤーのプレイングなど)も加味して、比較検討する必要があります。

 

もちろん、あるカード(特に新拡張のカードとか)を評価する場合、とっかかりとして既存の似たカードと比較するのは、イメージがしやすくなるといったメリットがあり、そういった評価に意味がないわけではないです。ただ、とっかかりとしてはいいですが、そこが本質ではないかなと。

記事を書く場合、いろんな視点から何か書けることがないか考えて、新しい発見があると書きたくなるものですし、書くこと自体に問題はないと思いますし、例えば「最弱カード」みたいな話はネタとしては美味しいのかなとも思いますが、それが本質でない場合は「こういった考え方もある」くらいの紹介にしておくのがいいのかなと。

 

オチがない感じで申し訳ありませんが、今回はこれくらいで。

では、みなさん、よいクリスマス、よいお年を。